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通信制大学で学ぶ - 社会人になってから学ぶ良さ

「年だから」という言葉をつい使っていませんか?

今回は一旦社会人になってから改めて大学で学ぶことの良さについて書いてみます。

実はまた編入していました。

2016年4月に通信制の大学に編入して2018年3月に無事に卒業したのですが。

2018年9月に再度編入して大学生(+社会人+家庭人)生活が再スタートしていました。(※2020年3月に卒業予定です。)

年を重ねたからこそのメリット

後がない(笑)

もう後がないといった状況は実はものすごい大きなパワーになります。なぜならあれこれ迷って立ち止まっている余裕などないからです。

やろうと決めたら、周りの目を気にしている暇などなく、記憶力の衰えもなんとか工夫してカバーする以外に方法はなく(笑)、自分の納得のためには全力でやり切るしか道は残されていません。

若い頃、将来も可能性もどこか漠然としていて、でも無限に広がっているようにも感じて、1つに選びきれなかったり集中しきれなかったりしたことはありませんか?

大人は違います。本当に良い意味で、後がないんです。これは強みだと思います。

 

老年期の課題(!?)

 目指す大人がいるというのは、誰にとってもとても幸せなことだと思います。そんな大人にいつかなれたらいいですね(遠い目)。

少し話が脱線します。教育学者のハヴィガーストは、老年期の課題を「統合か絶望」と唱えました。

自分の人生が意味のあるものだったと思えるかどうかで、老後の生活の受け止め方、幸福度が分かれるというわけです。

青年期の特徴と課題

ここで青年期の特徴と課題にも触れておきます。

今はなんでもスピードが早いです。流行も、技術の進歩も。そうなると順応性の高さで若い人は有利です。となると経済やメディアなどにおいて若い人をターゲットにしたものが締める割合が高くなります。その方が消費されるからです。

すると社会そして文化の中心が若者中心となり、かつては大人を気取ることがカッコいいとされた時代もあったと思いますが、若者も大人も若々しいことが一層良いこととされる風潮に傾きます。

それは若い人にとっての難しさにもなり得ると考えます。 例えば、あまりに「若さ」の価値が高いと、年を重ねることは若さを失うことになってしまうからです。自分の価値が将来どんどん減っていってしまうように思えるのですね。 将来若さが失われたら、今度は自分が若い人に立場を奪われるのではないか、という不安感をもつこともあるでしょう。長年熟練の技を鍛えるような職業ではそういったことは起こりにくいかもしれません。ただ若さも熟練も簡単に比較できることではなく、個人や職種にもよるでしょう。

あらためて、「大人になって学ぶこと」を考えてみる。

今後はAIやロボットの進歩も考えると、、、本当に先の見えにくい世の中ですね。

この際年齢に拘らず、いろいろな人、出来たら別の職業や別の年代の人に会うことはとても良いことだと思いませんか。通信制大学のスクーリング授業ではそういったことが一気に叶うのもメリットでした。

経験が増えれば増えるほど、より深く理解できることも増えていくはずです。(ヴィゴツキーの構成主義と照らし合わせて考えてみたいとことですが、それはまたいずれ)

実は大人になってから学ぶと、新しい知識に対して、より驚きを持って学んでいけることが多いのではないかと思います。

 

もしも目上の人に、または年を重ねる自分自身にどうしても夢を持てないときががあったら。そんな心配はないと思います。メガネをちょっと新しくする感覚で、これまでとは違う気分で生活を見つめ直してみませんか。私はとても楽しみです。