先日の記事の続きとして、考えたことをメモしておきたいと思います。
子どもたちが学ぶ力を身につけていくとき、教員は何を支えればよいのでしょうか。今、特に気になっているのは、「足場がけをどう外すか」、そして「子どもに任せることと放任はどう違うのか」ということです。
教員が細かく道筋を示さず、子どもたちが立ち止まったり、迷ったりしている授業は、一見すると「放任」に見えるかもしれません。しかし、その中には、教員が意図して足場を外し、子どもたちが自分で考え、試している時間もあるのではないでしょうか。試行錯誤をする機会がなければ、自ら学ぶ力を育てることも難しいと思うのです。
このことを考えるとき、私は、臨床心理学者カール・ロジャーズの考えが頭に浮かびます。ロジャーズは、人の変化を支える関係において、援助者の「自己一致」「無条件の肯定的関心」「共感的理解」を重視しました。
授業にそのまま当てはめることはできませんが、子どもの考えや迷いを受け止めることには、通じるところがあるように思います。間違えても、その子自身の価値まで否定されない。「分からない」と言っても、考えの途中を話しても大丈夫。そう感じられる関係の中で、子どもは少しずつ自分の考えを表に出し、試してみようとするのかもしれません。
ただ、安心できる環境を整えたからといって、子どもがすぐに動き始めるとは限りません。
「自分で考えていいよ」
「方法は自分たちで選んでいいよ」
と伝えられても、最初は戸惑うでしょう。
何をすればよいか分からず、教員の指示を待つこともあります。その姿を見てすぐに「やはり任せられない」と判断し、教員が道筋を示してしまったら、子どもが自分で一歩を踏み出す機会を失うかもしれません。
だからといって、ただ待っていればよいわけでもありません。学習目標や基礎知識、考えるに値する問いは必要です。子どもが何に困っているのかを見取り、必要なときには支える。そのうえで、子ども自身が考え、試すための時間を残すことが大切なのだと思います。
基礎知識は、考えるための材料になる。問いや適度な困難は、思考を動かすきっかけになる。心理的な安心は、失敗しても考え直せる土台になる。そして、教員がすぐに答えを渡さずに待つ時間は、子どもが学びの主体になるための猶予になる。
どこまで支え、いつ足場を外し、どの場面で再び手を差し伸べるのか。学校や教室、子どもによって、その答えは違うはずです。だからこそ、子どもたちの試行錯誤を見守りながら、一人ひとりの学びを見取る教員の働きが問われるのだと思います。
続きはまた後日。
