あるくテック

「分かる」をつくりたい。

かつて、「先生」にはならないと思っていた

専門学校で非常勤講師をさせて頂くようになってそろそろ20年になります。

私は10代半ばから20代半ばまで、「先生」と呼ばれるような仕事には就くつもりがありませんでした。なのに昨年度からは教員免許を取るために教育学科に編入し、最初の大学生生活よりもしかしたら真面目に勉強をしたのですから、人生どう転ぶか分からないですね。

なぜ「先生」にはならないと思っていたか

思い返すと、理由は大きく2つあったと思います。ひとつは、私自身が模範的な生徒ではなく、もしも私が学校の先生になったら自分みたいな生徒でも面倒をみなければならないなんて大変だと思っていました。授業中はとにかく居眠りばかりしていた記憶がありますし、何年か前の同窓会では同級生もそう言っていたので間違いないと思います。そうだ、忘れ物も多かった。

もうひとつは、もし私が「先生」なんて呼ばれ始めたら、もしかして勘違いして調子にのってしまって少々変な方向に行ってしまうんじゃないかと、自分の人間性に自信も無かったからでした。これは大学生になりたての頃、同じ生物学科で教員を目指していた友人から聞いた話がキッカケだったと思います。

結局大学進学後も「教職」には興味が無いまま過ごしました。たまたま大学の頃のルームメイトが小学校の教員を目指していたのですが、それでも私自身が人に教える立場になることは考えられませんでした。

なぜか、NYの真ん中で説教をされる

大学在学中に半年間弱ほど、アメリカのペンシルベニア州に留学をしました。休みの日には友人達とニューヨークへ遊びに行きました。格安のホテルに泊まったり、友人の車に同乗させてもらったりと節約しつつ、特に「かなえちゃん」とは留学中に三回ほどNYへ出掛けました。

彼女と確かワシントン・スクエアガーデンに立ち寄った時のこと。同年代くらいの二人組の男性から声を掛けられました。彼らも南米かどこかからの留学生だったと思います。一人はヘッドフォンか何かで音楽を聴きながらニコニコと踊っていました。私たちと会話をするよりも、そばで陽気に、いえハイテンションに踊っていました。もう一人の男性も陽気でどちらかというと軽い感じもしましたが、私たちの拙い英語にも嫌な顔もせず、人と話すことが好きな様でした。

彼から「将来何になりたいか?」と聞かれたんだったと記憶しています。かなえちゃんは彼女の夢を、そして私は何気に「まだ決めてないけれど、先生と呼ばれる仕事には就きたくない」と話しました。すると、

「なんでなんだ?!先生というのはとてもとても立派な仕事なんだぞ!!!」

と、想定外の熱さで説得され始めてしまい、圧倒された私はとてもなりたくない理由を言い出せなくなり、ただただ彼の話を真面目に聞きました。。。

女性で新人だったので

大学卒業後は、コンピュータのシステム開発の会社に就職をしました。

その会社は同期入社の新人が300人ほどいた大規模な会社でしたが、バブル崩壊のあおりを受けてか経営が既に悪化しており、入社後まもなく会社都合の退職をすることとなり失業者となりました。

幸い数か月後には知人の紹介で、出来たばかりのシステム開発会社に再就職できました。今度は社員が数名の会社。一番の若手だった私にも色々な仕事が回ってきました。

当時の一般的なシステム開発は、ウォーターフローと呼ばれるトップダウンの開発スタイルでした。最初の会社でももちろんそうでした。しかし転職後は時には一人で設計から開発まで行うため、上司の指導もあり強制的に現在主流のアジャイル開発に近いスタイルで仕事をこなさざるを得ませんでした。お陰でとても成長でき感謝しています。

その頃、ときどき「お客様のところへ行って講習をする」という仕事も担当しました。Windows、Word、Excelなどの基礎講習もあれば、プログラミングに関することもありました。システムを導入した先で特に基礎講習も求められることがあったのでしょう。ちょうどパソコンが普及し始めた頃でもありました。

当時は若くかつ女性だったので、講師として私が行けば下っ端の私の有効活用にもなり、かつお客様ウケも悪くないだろうということだったような気がします。私は一旦失業を経験した身ですから、与えられた仕事は何でもこなそうと、私なりに必死で頑張りました。やってみると楽しくもありました。

その後、非常勤講師となる

システム開発の会社を結婚退社した後、Web関連の仕事をしようと印刷会社に再就職、その後フリーになりました。ソフトウエア開発の仕事やWeb制作の仕事などを受けながら細々とスタート。そんな時、友人が「専門学校で非常勤講師をしては」と声を掛けてくれました。あのバブルで弾けた会社で同期だった女性でした。彼女も私と同じタイミングで退職をした後、母校である専門学校に今度は先生として戻っていました。

私が最初に担当させて頂いたのは、PhotoshopやHTMLの授業だったと思います。とにかく仕事を頂けることが有難かったのと、既に講師の経験もあったことから、ためらいも無く引き受けました。その頃、学生に「私のことは“先生”は付けずに呼んで」と言ったことも。

今では最も長く続けている仕事に

非常勤講師なので、担当する授業以外の時間は基本自由です。システム開発のスタッフなどの仕事なども引き続き受けていました。印刷会社にいた頃の上司が外注として私に仕事を回して下さったり、周りの方々のご厚意は本当に有り難かったです。

育児がスタートして特に子どもが小さい頃は、非常勤講師の仕事だと夏休みなどの長期休みに私も休める(授業がない)ので、仕事との両立の上で正直とても助かりました。

気付けば一番長く続けている仕事が講師の仕事となっていました。最初は戸惑いも多く苦心もしましたが、次第に講師の仕事が面白くなっていることにも気付きました。何事もやってみないと分からないものです。

キャリアカウンセリングとして

私は高校生のときは獣医を目指し合格もしましたが、実際に進学したのは理学部(生物生態学)。なのに就職はシステム開発で、その後印刷会社勤務(Web制作)からの、フリーで非常勤講師。

講師に誘ってくれた友人の依頼もあり、学生にはひとつの実例として私の話をしています。やってみて分かることや得ることも多いですし、進路を変更しても経験を無駄にしなければそれで良いと考えています。就職など進路に不安や悩みを持つ学生に少しでも役立てば嬉しいです。

これから

以前から子育てが落ち着いたらどういう風に働いていこうかぼんやりと考えていました。

システム開発の仕事も好きでした。お客様のところへ出かけて聞き取り調査や要求分析などするコンサルティングもやりがいがありました。オブジェクト指向での設計や開発も面白い仕事でした。

オブジェクト指向、大好きです。

今は教える仕事が私の軸となっています。昨年度大学(教育学科)に編入し、教育学や情報科学を学んだことでよりその方向ははっきりしたと思います。

これからは構成的グループエンカウンターや『学び合い』に大変興味があります。

でもやっぱり、オブジェクト指向も大好きです。