あるくテック

「分かる」をつくりたい。

二年目の『学び合い』の様子など

この度の豪雨で被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

まだ予断の許さぬ状況ですので、どうか安全を第一にお過ごしくださいますよう。

一際思い出の多い松山市、そして南予地方の被害にはただただ言葉を失うばかりです。皆様のご無事をお祈りしています。

前期授業

授業内容とクラスの状況に応じてではありますが、『学び合い』(アクティブラーニング)の授業に今年も取り組んでいます。二年目になりました。

課題

二年目ということで、少し肩に力の入ったスタートを切っていたかもしれません。

また新たに担当する授業が複数加わったこともあって、日々の授業準備(課題作り)などに追われてまるで全力疾走のような日も続きました。

去年と同じ授業内容であっても『学び合い』の授業を前提とすると、やはりクラスの状況になるべく合うような課題を毎回新たに作りました。

そんな中、去年よりももっと良い授業にしたいという欲や、『学び合い』の本質に対する戸惑いや、あれこれと考え始めてしまいました。

しかしながら肩に入っていた力を抜く転機がいくつかありました。『学び合い』の会に参加させていただき他の先生方のお話を伺えたこともそうですが、何より公開授業に伺って実際の様子を拝見したことで、自分自身でも驚くほど授業に対する迷いがそれ以前より無くなりました。

また会に参加されている先生方が、誰に対してもフラットに接し、また真摯に学び合う姿勢をお持ちだったことも、私にとっては続ける動機となりました。間接的なことなのかもしれませんが、これからの学びを問い実践する立場の者として、説得力が違うと私は思います。

留学生との『学び合い』

実は4月から、日本へ留学している学生のクラスでのWebページの制作の授業をさせて頂いています。授業は日本語で行います。

私にとって初めての経験ですので、最初は学生の様子を把握することに努めました。途中からは主体的・協働的に学ぶことのメリットを伝え、『学び合い』の授業を少しずつ行なっています。留学生達の反応が素晴らしいです。

技術的な内容として

技術的なことでは、JavaScript(enchant.js)の授業の中でSlackやGitHub Educationを試験的に用いています。GitHubは最近スタートしたばかりでこれからですが、Slackについては概ね好感触です。今の学生はSNSに十分慣れていることも実感しました。

最後に

新たな課題もいろいろと。より良い授業作りにこれからも一歩一歩取り組んでいきたいと思っています。

 

 

 

 

プログラミング言語、Processing

かなり久しぶりにICT技術寄りな内容の記事です。でも浅いです。覚書ということで。

実は先日、面白いプログラミング言語があることを教えていただきました。

私はものの名前を覚えるのがとても苦手なのに、話を伺ったときにメモも取っていなかった「Processing」という言語名を数週間経ってもちゃんと思い出せるではないですか。

これは試さなくては!ということで、まずは公式サイトからのダウンロードや紹介動画を見ました。Qiitaに記事を載せました。

qiita.com

公式サイトも紹介動画も英語でしたが、メニューはちゃんと日本語化されています。

もしも将来授業やオープンキャンパスで使う場合、ここは案外大切です。

・起動画面

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まずは少しずつ遊んでみたいと思います。

出会いや再開の一週間

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今週は、いろいろな方に会えて楽しい一週間でした。

まず、友人たちとの勉強会がありました。会場は可愛らしいカフェ。私は初めて行くお店でしたが、オーナーの女性の顔に見覚えが。

絶対に以前会ったことがあるはずと、思い切って声をかけてみたところ、なんと小・中の同級生でした。

同級生や友人達の活躍振りに元気を頂きました。勉強も楽しかったです。話すことは大事です。

 

そして、アクティブラーニングの研究会である、「『学び合い』の会浜松」に初めて参加させて頂きました。静岡『学び合い』の会には2月に参加できたのですが、浜松の会はこれまでなかなか予定が合わず、今回念願叶っての参加です。

会場には、またもやお一人、見覚えがある女性の方が。

お声をかけて訊ねてみると、以前に仕事で伺った高校でスクールカウンセラーをされていた先生でした。当時はきちんとお話する機会がなく、最後にご挨拶をしただけでしたが、今回は先生の現在のご様子などお話が伺えて嬉しかったです。

しかも先生のご専門がアドラー心理学とのこと。アドラー心理学は少し前から興味を持ってはいたものの勉強出来ていませんでしたが、少しだけアドラー心理学を踏まえた子どもとの関わり方についてもお話が伺え勉強になりました。教えてもらうことも、大事です。

今回の『学び合い』の会浜松

今回、『学び合い』について『学び合い』で学ぶという模擬授業も行われました。

教わる側の立場で『学び合い』を体験できたこと、同時に『学び合い』について確認できたこと、とても有意義な時間でした。話すこと、教えてもらうこと、一緒に学ぶことの大切さを再認識できました。

ところで何冊か『学び合い』の本を読んでみたものの、やはり実際の授業を拝見しなくてはと最近思っていました。いらしていた高校の先生に授業参観をお願いしてみました。

静岡の会でも感じたことですが、先生同士の学び合いも自然と行われていて、初参加でしかも小・中・高の教員ではない私(一応免許だけはありますが)に対してもとてもフラットに接して協力した下さる雰囲気が素晴らしいと思います。

他にも現在幼児教育に関わっていらっしゃる元幼稚園の先生もお越しでした。様々なところから関心を持たれているんですね。

楽しい授業、成長する授業

実は教えている学生が私のブログを読んでくれたそうです。ありがとうございます。でも

照れくさいです。

社会人の方に読んでいただくのはほとんど照れは感じません。先日は大学でお世話になった先生が感想をメールで送ってくださりとても嬉しく、また励まされました。

おそらく、実際に私の授業を受けている学生が読んでくれることが、照れくさいのでしょうね。バックステージを見られてしまう感覚でしょうか。

ですがいろいろな方がが私のブログを読んでくれることは、私にとってとても良い刺激だと思います。

マジメな面も、ぼーっとした大変にゆるいところも、どちらも私ということですよね。

楽しい授業、成長する授業

ところでGWに勉強をした『学び合い』ですが、改めて自分の記事を読み返してみると既に忘れていたことがありました。5月、6月、そして8月と、研究会に参加させていただく予定なので、いろいろな方のお話を伺ってたくさん吸収したいと思います。

ところであるクラスで授業について無記名のアンケートを取りました。

「友達に聞いた方が分かる」ことや「すぐに質問できる」「何度も聞ける」こと、「理解が深まる」ことなどに気づいてくれていて嬉しく思います。一方で普段は見えない本音や葛藤も分かりました。特に学生同士のコミュニケーションについては複数の学生が何らか課題を抱えています。

 

こういった課題に対し、『学び合い』では先生一人が課題を抱え込むのではなく、子どもたちでの解決を目指します。

とはいえ、私が無記名のアンケートから知った課題をクラスにどう問いかけていいか、課題を抱える学生それぞれの気持ちを考えると、どうしたらいいのか今の私にはまだ分かりませんでした。自信がありませんでした。

今年度、私は複数の学校で複数のクラス(前期・後期で合わせて9クラス)を担当させていただいています。そこで学校名やクラス名は伏せて、アンケートを取ったクラスとは違うクラスでアドバイスをお願いしてみました。

 

学生たちはとても真剣に考えてくれ、学生だからこその発想でアドバイスをしてくれました。

少しだけご紹介すると、「ネットを活用すればいいのでは」というアドバイスです。対面では人と話せなくても、SNSでなら大丈夫という場合があると。言われてみればなるほどと思うものの、私には出せない発想です。質問の集め方やクラスへのシェアにもネットを活用したアイディアをもらいました。

学生達すごい。すばらしい。

無記名アンケートに協力してもらったクラスの次回授業では、アンケート結果ともに、それらのアドバイスを伝えてみたいと思います。

転ばぬ先の杖は、魔法の杖!? みんなで取り組む『学び合い』入門 第4~6章の感想

ここ数回で、みんなで取り組む『学び合い』入門 (THE教師力ハンドブック)(西川純先生著)の第1章から第3章までの感想を書いてきました。GW中にぜひ完結させたいこともあり、残りを一気に書いてみようと思います。

読み終わって

この本を読み始めるとき、「より良い授業、役に立つ授業にしたい。そのためにはどういう風に『学び合い』の授業をすればいいのだろう」と思っていました。つまりはノウハウが知りたかったのです。

西川先生がコメントしてくださった「転ばぬ先の杖です。」という言葉も、『学び合い』の授業が失敗しないための杖と受け止めていました。(コメントを頂いた経緯はこちらの記事に書きました。

もちろん授業が上手いかないときへの対応も分かりやすく書かれていますが、さらに深く、さらに先へ、とても広い視野で『学び合い』について語られています。

「転ばぬ先の杖」は授業が転ばないことだけではなく、『学び合い』の授業をする先生として、子どもも先生も転ばずに進んでいくための杖でした。

歩くときの体重を支えるための杖というよりは、ハリーポッターの魔法の杖のようです。これは、使う人の責任の大きさも含めての表現です。

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